昭和45年 8月16日  特別奉修委員



 あの、御祈念にかかる前に、羽田野さんがお届けをされましたのに、うーん「むしろ」のお知らせを頂いたと。ね。(むしろ?)。(むしろ)を敷くと言ったり、えー、例えば、針の(むしろ)とかね、それからあのー、布教に出る時なんかは、あの、教えの(むしろ)を敷くといったようなことを申しますね。そういう、いろんなこともありましょうが、一番のことは、これは、まあ信心が巧者というか、まあ信心が玄人になってくると。ということは、まあ、あー、有り難いという、気持ち、思いが、だんだん、広うなっていくことが、信心が、まあ玄人になっていくことですよね。
 どんなに詳しいことが分かっても、有り難いものが育っていかなかったら、信心の有りがた、あー、おかげを受けておる者とは言えません。一生心配でたまらんという、ね、お参りは毎日しよるじゃいかんでしょう。もう本当にあのう、もう本当に安心の中に、いつも自分がこう、住んでおれれるおかげを目指して、信心の稽古をさして頂いて、一段一段信心が分かっていき、いけばいくほど、安心の気持ち、喜びの気持ちというものが育っていくもんです。
 だから限りない稽古がやっぱ必要だということになるわけです。ですから、あのう、(むしろ)ということから、まあ頂きますと、「六、四、六」とこう数字ばかりになりますね。「六」とか「四」とかね。ということになるでしょう、(むしろ)。そいで、それから、まあ私感じさせて頂くことは、例えば、「無」ということは無くなるということだと思うですね。「死」はまあ、皆がいとい、嫌う、死ぬるということだと思いますね。
 そういう、例えば死ぬるとか、亡くなるとかといったようなことをね、信心で受けていくから「六」になる。「六」というのは「お徳」と仰るですもんね。「六」の知らせは「徳」ということです。あの、(ろくをはむ?)と言うでしょう、例えば何百石の大名だというね、「ろく」とか「とく」というふうにもじって、私が頂いております。ですから、その、「む」とか「し」、いわゆる、ならこれは私を見てござるでしょう、財産をもう無くしてしまった。
 さあ次から、半年余に、兄弟三人の葬式をせにゃならんといったように、一番、悲しいことが次々と起きてきた。まあ、して、信心といやあ、ほんに人がびっくりするぐらいにおかげ頂いて信心さして頂きよった。にもかかわらず、それであった。ね。
 そこで、その、そういう「む」とか「し」とかということが、現在をもと見ると「六」になっておる。ね。だから私は段階を追うて、そのことの有り難いということをだんだん深く分かってきた、これからのこととて、いや、同じこと。ね。おかげですよと。ね、悲し言う、おかげですよと、むしろ、お礼を申しあげなんことじゃないかというところにも、(むしろ)が出てくるですね。
 だから私達のことを申しますと、ね、例えば今度の台風で、えー、まあいろいろ被害もある、息子さんの方のお宅なんかは、ちょうどあちらの息子さんがおられました。東京に上京しておられる、その、行っておられましたから、嫁さんと、おー、子供達ばかりで、こちらへ電話が掛かってきて、まあいろいろ被害が相当あるらしい、ね、けれども、そういうことの中でも、むしろお礼を申し上げねばならんことに、どうぞどうぞとお願いすることばっかり、お礼を申しあげることはね、ね。
 だから、むしろ、お礼を申し上げねばならないことに、私共が只、願いとか、または、あー、不平とか不足とかということになってくるような、ことじゃいつまで経っても、信心が素人と言わなければできません。ですから、本当にね、だから、信心のやはり玄人。 例えば今朝、私が頂きますように、「色が黒いが南洋じゃ美人」ですよね。今朝からその、あの歌のリズムをずっと頂くんですよね。ね。
 ですから、なるほど南洋では、色の黒いのが美人であるようにですね。合楽ではです、本当に修行を修行、家業を修行として頂く人が本当なものだということですよ。だから、それが美人です、合楽では。ね。まあ、ああいう難儀な中にいつもにこやかに、本当に有り難い、勿体無いでいきござるっちゅうのは、何っちゅう有り難いことじゃろうかと、そういう人達がここでは美人ということになる。
 もちろん、限りなく美しゅうならせて頂こうというのが、ここの、ね、合言葉ぐらいですから、その、そういう意味においての美人が沢山できなきゃならん。それもちょっと自分の思うようにならんと、もうそれがもう、ね、顔色に出たり、心の中でそれを、おー、煩悶したりする。もう本当に頂き方の稽古ができておらん証拠だと。
 ですから、まずその、えー、おかげのキャッチですね。神様の働きをおかげとキャッチする心をまず創らなきゃいけない。
 先ほど野口さんの話を頂いておりますと、私は、もう久留米もひどいなら、あっちは家がご承知のように古いでしょう。揺ら揺らしたような感じですもんね、どんな形でん。
 あそこは大変じゃったろう、昨日も見えませんから、やっぱ、大変じゃったろうと思いよったんですよ。ったら、今日、ご夫婦でお礼に出てみえてから、はあ、やっぱ大変は大変だったらしいですけどですね。先生、それがもう、ご都合なことにはもう、もうそれこそ2階からです、子供達全部下ろしてから、あのはなれをほさげよってしまうぐらいにやっぱ揺ら揺らしたらしい、ね。まあ子供達がもう、金光様、金光様と願うてくれるし、これはもう本当、子供の願いの方がやっぱそら聞きなさるとじゃなかじゃろうかと思うくらいに、感じましたというおかげなんです。
 それがもう、とにかく、本当に、あげな大きなけて切ってまで、困るっちゅうごとある、いわされんっちゅうごたっとが、うん、折れて、んなら家を本当に北で、塀の(ほんたん?)そんくりゃあもう、塀の方が倒れとるもん、それがあちらにもこちらにも、こう分散したようにですね、こう折っておいたように置いてある。ね。
 もう、あの、もう近所は、あそこは、皆、あの、ああいう、おー、まあ言うなら、えらい人達ばかり住んでおられますもんね、あの、信田の一角は。まあそれとのことで責められる、ですね。あの、(だくゆう?)に入れられたくないっちゅう意味じゃないですからね。(笑)。ですからあの、ところが家だけはえらくないとですね、もう揺ら揺らしよる。もう(てほんだい?)もせっ、しとるとが、やっぱ大変な崩れ方をしておる。塀が倒れたりしておるっちゅうんです。
 只、あそこの他塀がもう、こう倒れかけとる、ところがですね、大きな(きのっか?)何かが折れてですね、その、(きのっこ?)へ、折れた所からちょうどそこの、支えになっとったっちゅう。それけんまるけんあんたげた、根のある支えって話してから、まあ言うたことでしたけれどもね(笑)。
 例えばなら、そういうなことをまでぐらいならね、それでもですね、やはりおかげをおかげと頂ききらんもんなら、ほんにちょいと大変な風やったのだけですむとこでしょう。
 けど、またその、野口さんがね、それを本当に神様のご演出、こういう難儀、風の中にもね、その、もうそれこそ神様がわりきり、その、働いてござることをですね、まのあたりに見るような、ところに焦点を置いてお礼を申し上げておられることなんですよ。
 今日、あの、佐田さん達が親子で、今、日田の方へ行っておられます。ね。日田の方から今日参って来てもらい、みえておられますが、さあ、ああ言うたおかげの中に、本当に家の方はどうじゃろうかともう、それこそ願うことだけ、そら願いになさったと思いますたいね。あちら辺りは、日田はあんまり、ここへもいくらかかかるから、それでもやっぱり相当、被害が出てる。
 そらもう、あっちは私より、二人置いてきとったから一生懸命だったでしょうがですたい、その電話をかけてみて驚いたことには、あの台風の中にですね、おじいちゃんとおばあちゃんが全然覚えんならん、朝まで寝ちゃったげな。さあ起きてみたらもう、そこの小屋は飛んどる、ここのあれが飛んどる、他所がです。家は何も被害がなくて、庭がですね、庭の、あの、沢山松の木やらが埋っとるでしょうが、あれが全部、倒れた。
 から、表ん大きな木が、倒れていつも自動車が置かれる所にその、あのね、それがあの、倒れとるそうですけん、あん自動車が、まあだ、買うたばっかので置いとらんですね、自動車の方がぶっちゃげとるっちゃあた。ね。表に置いたトラックまでがおかげ頂いとったというようにですね、まあおかげをおかげと感じていくともう、ずっとおかげ。そこで、んなら、あの、いつもの庭師さんに、こんなふうで倒れとるけんで、家、早よ来て下さいと言うてね、お願いをさして頂いた。
 ところがもう、とにかくあっちこっちから、いや、とても4,5日ではできませんという、まあ返事だったらしいです。ところが30分ばっかりしたらですね、その庭師さんが職人さんを2、3人連れてから来てもう、昨日のうちに出来てしもうた。まあ、そのおかげもおかげも去ることながら、(末尾切れ)